2006/11/18

南東北紀行 vol.2

 平泉から仙台へ戻ると夕方の5時過ぎである。ここから宮城交通の急行バスで30分ほどで今宵の宿のある秋保温泉に着く。岩沼屋は和風の旅館だが、シングルルームも備えているので、一人旅にはこの方が丁度良い。
 先ず一風呂浴びてから、お食事処での夕食に向かう。普段あまり呑まない日本酒を呑むことにした。どれにしようかと品書きを見ていると『日高見(ひだかみ)』という名前が目に入った。石巻の酒である。

 かつて石巻周辺は「日高見国」と呼ばれており、その中央を流れる川は「日高見川」と呼ばれていたそうな。そしてこの川が後に北上川と呼ばれるようになったということである。北上川と云えば東北地方最大の河川であり、岩手県を源流とし、盛岡市、北上市、奥州市、一関市などを通って宮城県に入り、石巻市で太平洋に注いでいる。もちろん今日訪れた平泉を流れていたのもこの川である。これは是非呑んでおかねばならない酒だろうと勝手に頷いて注文。スッキリとした甘さで、とてもいい香りのするお酒である。こういう日本酒なら大歓迎だ。

 余り緩くり飲んでいたものだから、周りの席のお客は食事を終えて次々と帰ってしまい、いつのまにか店内には独りきりである。いい加減食事を終わらせて部屋に戻る。あとは風呂に入ったり風呂に入ったり風呂に入ったり・・・・・


 翌朝、朝風呂に浸かってからチェックアウトする。旅館のバスで仙台駅前まで。ロッカーに荷物を預けてからいよいよ宮城県美術館へ。到着すると休館日かと思われるほど閑散としているが無理もない。木曜の午前中である。それに都内の美術館と一緒にしては不可ない。あの混雑振りが異常なのだ。それにしてもこの時間帯は少なすぎやしませんか?時には展示室内にワタシ独り、係員すら見当たらない場合さえあって思わず、

『オレ貸切中。』

などと呟きたくなってしまう。おかげで背伸びをしたり覗き込んだり人にぶつかられたりオバチャンの話し声に悩まされたりすることなく目の前でクレーの絵を堪能することが出来た。図録および絵葉書数点を購入。
 美術館を出てせっかくなので仙台城趾に向かう。地図で見るとそれほどの距離でもない。昨日の反省もなく「今回の旅のテェマはやはり歩きだ!」と調子に乗って徒歩で向かう。ところが・・・・・

 城などというものはやはりそれなりの高台にあるもので、徒歩で向かう人はほとんど居ないようである。道理で満足な歩道すら無い筈だ。車道の脇をとぼとぼと歩いていくがどんどん勾配が急になってゆき、横を追い越してゆくタクシーのエンジン音からもかなりの坂道であることが判る。これでは昨日の中尊寺月見坂以上ではないか!と、心で叫びながら歩き続けること数十分、ようやくのことで到着。有名な伊達政宗の像があるあの場所である。正宗の見ている方角に目を遣ると、仙台駅を中心とした市街地方面を見渡すことが出来るが、いい眺めを楽しみつつも同時に随分登ってきたことを思い知ってどっと疲れが出る。そういえば2時過ぎになるというのに昼食がまだだった。見ると丁度近くに牛タンの店がある。仙台といえば牛タン、牛タンといえば仙台ではないか。ここで喰っておかない手はないだろうと、早速店内へ。時間が時間だから客はワタシの他2組だけである。D1000084
注文した牛タン定食は一番標準的なメニューで、味噌味と塩味の牛タンが半々、それに麦ごはんと牛テールスープが付いている。肉は柔らかく、噛み締める旨みが。美味である。
 仙台城趾からの帰りはさすがに歩きを断念。乗ったタクシーの運転手は東北訛りがかなり強いが、陽気な人で色々と仙台の街を説明しながら駅まで連れて行って呉れた。一人旅にはこういう運転手が嬉しい。仙台発は4時54分。薄暗くなる時間である。新幹線はしだいに明かりが灯っていく仙台を離れた。

 今回は行けなかったが、平泉周辺には猊鼻渓、厳美渓、水沢の正法寺などまだまだ行ってみたい場所が沢山ある。また是非訪れて、そして歩き回ってみたいものである。勿論もう少し歩きやすい支度で。

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2006/11/16

補筆の事情。

 新宿のタワーレコードは好きである。駅からの近さが良い。が、エスカレーターで9階まで行かなければならないのは一寸面倒である。

 先日も、池袋へ出たついでに足を伸ばしてみた。特に何の目的もなく店内を歩き回って気になったCDを見て回る。目的もなくといってもまんべんなくというわけにはいかず、当然好きな作曲家の周辺を嗅ぎまわることになる。 知っている人は知っているがワタシはハイドン兄弟の弟の方、ミヒャエルの音楽を愛好する。そしてこれまた知っている人は知っていることだが、なんと今年はミヒャエルの没後200年なのである。日本国内ではモーツァルト生誕250年の嵐ににかき消されてしまっている感があるのは残念至極だが、それでも輸入盤の世界では細々ながらもリリースがある。新宿のタワレコが好きだと初めに書いたが、この店ではちゃんと『ミヒャエル・ハイドン』のコーナーが区切ってあるというのもその理由の一つである。
 CDの背表紙はその狭い縦書きのスペースで客にアピールしなければならないものだが、特に輸入盤では横文字&横書きという悪条件が伴う。だから目を凝らして、首を斜めにして文字情報を解読しなければならない。無論ミヒャエルの場合全部でも20枚ほどだから兄ハイドンに較べたら微々たる品数であるし、そうそう新譜が並ぶこともないのだが、今回は何やら新しいモノが在りそうな予感。案の定、その中に気になる一枚が。

『Johann Michael Haydn: Requiem in B』

この文字からアタマに浮かぶのは、ミヒャエル最期の年、すなわち1806年にヴィーン宮廷からの依頼によって書き始められた変ロ長調のレクイエムである。しかし・・・あの曲は作曲者の死によって未完に終わったはず。録音もあるが、完成部分が20分足らずだから一枚のCDのメイン曲にはなり得ない。不審に思ってCD裏をみてみると、未完どころではない。レクイエムを構成する楽章がすべて揃っているようである。これは一体、どういうことだろうと思いながらよくよくみると、

『Vervollstaendigung von P. Kronecker』

と書いてある。ドイツ語だ。これを訳せば、「P.クロネッカーによって補完された」となる。補完?補筆完成?された?クロネッカーって誰だ?謎はますます深まるばかりだが、こうなったら買うしかない。迷わず購入。

そもそも、このレクイエムはもともと全歌詞のうち初めの4分の1程度しか作曲が終わっていないのだ。誰が補完するにしても、作曲者のスケッチなり何なり無いことには無理だろう。中には英文の解説もあったので、単語を拾って意味を想像する。クロネッカーなる人物はベルリオーズと同じ1803年の生まれ。この補筆版は彼がオーストリアのクレムスミュンスターにあるベネディクト会修道院の合唱長を務めていた1839年(ということはあのシューマンの結婚前年ですね)に完成させたものらしい。同じく未完に終わったモーツァルトのレクイエム(以下モツレク)の場合は作曲者の死後間もなく弟子のジュースマイヤーによって完成されて今日に伝わっているが、これは(少なくとも音楽の骨格だけは)8割方出来上がっていたし、スケッチ類も遺されていた。何より完成者ジュースマイヤーが、作曲者の晩年に付き従い、作曲の手伝いをしていた弟子であるというのが一番大きい。
 それに引き替え。クロネッカーは1803年生まれであるから彼が物心つくころにはミヒャエルはこの世の人では無かったはず。では彼はどうやってこの曲を完成させたのか?解説に拠れば彼は

『(ミヒャエル・)ハイドンの精神とスタイルに則って』

つまり『ミヒャエルの心持ちで』補完を行った・・・・・のだそうだ。ということは、モツレクにおいて20世紀の音楽学者たちがジュースマイヤーの補筆を叩き台にして、各々のモーツァルト研究を元に仕上げた種々の完成版と、コンセプトとしては同じと云うことになるのかな?だとすると結構なイロモノかも。


家に帰って早速聴いてみると、なんとピリオド楽器(作曲当時の楽器またはそのコピー楽器)による演奏ではないか。途切れた部分からの繋ぎはまあまあ巧くいっているようだが、次の楽章からは、ミヒャエルが1771年に作曲したレクイエムからの影響(というかほとんど引用と云ってよいかも)が丸見えで違和感どころかなんだか可笑しい位である。全曲の終わりに冒頭の真作部分の音楽をそのまま転用するのは、モツレクのジュースマイヤーが採ったのと同じ遣り口であるが、ここで再登場するミヒャエルの真の音楽の高揚感は素晴らしい!ミヒャエル本人が全曲を完成させなかったことをつくづく惜しいとあらためて思い知らされたCDである。

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2006/11/15

夜光・馬編

 前々より気になっていた馬肉を食べさせるいい店があるという言葉に釣られて、友人S氏の住む町田方面へ向かう。地元からだと八王子経由で向かう手も在るには在るのだが、一寸用事もあったので一旦池袋に出てそれを済ませてから新宿経由で向かう。
 最寄りの駅で下車。先ずはS氏の自宅へ拝登。伽藍を見学したのち、一緒に向かうは柿島屋。雑誌にも載るほどであるから品質・味ともに文句の付くはずもなく(初めてなんだからつけようもないが)、しかも値段も安い!最初はホッピーを頼んで肉皿、カレーメンチなどを食す。特にメンチは食感、香りが素晴らしいところへ、上にかけられたカレーが加わると、もう、もう、旨すぎる!!
 ホッピーを3杯呑んだところで梅割に切り替えると、馬刺、肉鍋、さらに〆と称してそば玉なども追加して、お腹も心もすっかり満足したのだが、時計をみるとまだ宵の口である。しまったスタートが早過ぎた。
 2軒目はカウンター席のみの小さな飲み屋。S氏がよく頼むという『紅サワー』なるものを、せっかくなので自分も頼むことにした。巨峰サワーみたいな色をしていながら、見た目とは裏腹にスッキリとした飲み口である。トマト巻き、煎り銀杏などをつまみながらここでも2,3時間。
 3軒目では、何故か普段呑まないウイスキーの水割りなんぞを呑みながら、2人して口々に
「まだ1軒目だ、1軒目だ。」
などと店の人に云っていたものだから、何故か店の人が2種類の泡盛なんぞを出してきたりして、それを呑み較べしているうちにまたまた時間は過ぎていった。店を出る頃には朝の3時をまわっていたのだからとっとと帰れば良かったのに、何故か我らの中では〆はラーメンと極まっていたのである・・・・・(つづく)

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2006/11/08

南東北紀行 vol.1

 少し前、10月末のこと。宮城県美術館にて開催中のパウル・クレー展を見に行く。仙台ならば日帰りも十分可能な距離なのだが、せっかくの秋である。一寸足を延ばして岩手県まで踏み込む、一泊2日の旅程を組んだ。大宮から新幹線に乗り、まずは前々から行ってみたいと思っていた地、平安時代末期に奥州藤原氏の都であった平泉を目指す。岩手県の玄関口、一ノ関までは「はやて」で1時間50分ほど。時間にしたら自宅(いちおう埼玉県内)から大宮までと変わらないではないか。

 降り立った一ノ関駅は在来線のホームに近い西口が温泉街への窓口で、新幹線の高架が並ぶ東側はがらんとしていて対照的である。ここから東北本線に乗り換えて2駅目が目指す平泉である。ホームでは2両編成の列車が発車を待って居た。ディーゼル特有の高床、押しボタン式ドア、地元で云うなら八高線と云った格で、妙に真新しい車体が逆にもの寂しさを与えるところもよく似ている。
 平泉の駅前は、有名な観光地に似つかわしくなくごくごく普通の佇まい。先ずは駅前通を真っ直ぐ云った突き当たりにある毛越寺に徒歩で向かう。

 「もうつうじ」である。普通に呼んだらとてもそうは読めないのだが、パンフレットに拠ると「もうおつじ」→「もうつじ」→「もうつうじ」となったものらしい。天台宗の寺院だがとにかく境内が広いのが特徴。往時の伽藍は礎石のみが遺っており、浄土に見立てた大泉が池を挟んで、対岸に現在の伽藍が並んでいる。平日の午前中とあって客足は疎らで、広い境内がより一層広く見える。ぶらぶらと小一時間境内を廻って外に出る。毛越寺と境内をほぼ接して、観自在王院という寺院の跡がある。こちらは町の文化遺跡といった体で、境内には後世の建造と見える小さな御堂のみが建っていて、観光客はほとんど寄りつかない様子だ。しかしあまり整備され、観光地化されすぎた寺院よりも、こうした遺跡の方が過ぎ去った時を偲ぶには良い。
 いよいよ中尊寺に向かう。毛越寺付近からは少しばかり距離があるのだが、せっかくなので歩いてゆく。その土地の景色や街の広がり(とくに土地の起伏)を味わうには自分の足で歩くのが一番なのだ。途中、平泉町の郷土館などにも立ち寄る。

 中尊寺。ここは金色堂で知られ、平泉観光の目玉として普く有名であるから、人出もかなりのものであった。観光バスが頻繁に出入りする駐車場からは急勾配な参道(月見坂)を登ってゆく。地図で見る限りこの勾配は判らないがずいぶんと山の上に造ったものだ。中尊寺自体は拝観自由だが、金色堂を見るには入場券が要る。金色堂は三間四方ほどの小さなもので阿弥陀如来が本尊として安置されている。金色堂の周りはガラス張りで、一回り大きい近代的な建築で覆われている。昭和の大修理以前は風雨に晒されぼろぼろであったそうだからこうした処置は判らないでもないが、一寸味気ない。まあ一度見ておけば充分だろう。
 帰り道、駅への道を歩いていると偶然、高館義経堂という看板が目に飛び込んできた。ガイドブックを開くと“義経終焉の地”と書いてある。せっかく来たのだからと、高館義経堂に向かう。東北本線の踏切を渡って、薄暗い坂道を上ると小さな受付がある。200円の拝観料を払って階段を昇る。かつて源義経の居館がこの丘にあったということで、義経を祀った御堂があるのだが、ということは松尾芭蕉が

「夏草や 兵共が 夢の跡」

Dscn0702の句を詠んだ場所でもあるわけで、その句碑も建っているという。それにしてはずいぶんと物寂しい・・・。などと思いながら階段を昇って行くと、パッと視界が開け、思わず息を呑む景色が広がっていた。目前には陸奥の大河、北上川の雄大な姿が横たわり、川向こうに広がる田野の先には、束稲山(たばしねやま)が悠然と峙っている。こんな風景を見ていると、義経が本当にこの場所に居を構えたかどうか、芭蕉が本当にこの場所であの句を詠んだのか、そんなことはどうでも良くなってしまう。平泉に着いてから色々と見てきて何だか物足らなかったのだが、ここへ来て一遍に物足りた心持ちである。
 帰りがけ、何の気無しにホームの屋根から下げられた行き先表示を見ると、

一ノ関、上野方面のりば

などと書いてある。そうなのだ。新幹線の開通によって、事実上仙台から北上までを結ぶ地方路線のようになってはいるが、この線路(東北本線)の起点はあくまで上野である。この細い線路が遙か400㎞先の上野まで続いていると思うと何だか感慨深い。
 来た道を戻って仙台まで引き返し、駅前からの路線バスに乗り込む。今宵の宿は秋保温泉である。仙台からは30分ほどの道のりである。今晩はゆっくり湯に浸かって明日のクレー展に備えるとしよう。本当は明日こそがメインなのだが、今日は歩きすぎてどっと疲れがでてしまったようだ。

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2006/09/20

つゆのない蕎麦!?

NTTフレッツ光のCM。曰く、

「光のないパソコンなんて、つゆのない蕎麦みたいなもの」

・・・・・ぬぬぬぬかしおったなNTT東日本!!!

それじゃあISDN回線の我がPCはどうなる?
つゆのない蕎麦どころか、空っぽ同然とでも云いたいのかな?

・・・・・まったく。

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2006/09/17

ハードケース

D1000078いやいや、またワタシの悪い癖が出た。ひと月更新が無かったこともそうだが、また妙な買い物をしてしまったというのが本題である。
左の写真を見ただけでは何だか解らないだろうが、これはトランペットのマウスピースを入れるケースである。マウスピースは、布製か革製のポーチ(?)に入れるのが普通であるが、これは、違う。

D1000079

要するに金具のところをクイッとあけて、パカッとやると


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こうなるわけです。





・・・・・また詰まらぬモノを買ってしまった・・・・・か?

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2006/08/02

立川『無庵』

D1000073 一寸した習い事で月イチくらいで立川に行くのだが、とある路地の奥にちらりと見える蕎麦屋があってずっと気になっていた。今日も立川に行くことになったので、少し早く出て、昼食がてらに寄ってみた。
 店の前まで行くと、丁度開店の時間らしく、店の人が打ち水をしている。まだ暖簾は出ていないようなのでちょっと様子を窺っていると、打ち水を終えて暖簾が出された。さっそく店内に入って席に着く。中は結構暗い。
 メニュウを見て、限定の生粉打ちせいろを注文する。あらためて店内を見回すと、古民家を改装したのか、はたまた古材を使って作ったのかは解らないが、黒く煤けた梁や天井は年季が入っている。しかし店内には静かにジャズが流れ、壁にはLPのジャケットが飾ってある。隅には古そうなアップライトピアノらしきものも見える。ジャズ喫茶といっても通じそうな雰囲気である。
 もうすぐお昼なので客は次々入ってくる。間もなく注文の生粉打ちせいろが出てきた。すぐに切れてしまいそうな細~い蕎麦であるが、汁につけて口に運ぶと存外しっかりしている。この細さと、飲み込むときの少しざらっとした触感がたいへん心地良い。
うーんこれは期待した以上に旨いではないか。厨房に通じるレジ後ろには、ガラスの冷蔵庫があって、中にはいろいろ日本酒が揃っているようだ。肴も出汁巻き卵や焼き味噌、からすみなど気になる物ばかり。今日は電車だったのだが、あとに習い事が控えているので自粛。また今度夜にでも行ってみよう。

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2006/07/30

移動販売

田舎(山奥!)なもんで、日常の買い物には少々不便を感じる。年が年中クルマで動き回っていてさえそう思うのだから、駅まで徒歩か自転車で行って、電車で30分くらいの市街地で買い物をして来なきゃならん人にとってはなお一層不便であろう。そんなわけで我が家の周辺にも、車で色々とものを売りに来る。豆腐屋をはじめ肉屋や魚屋、総合食品(つまり菓子など生鮮でないもの)などが曜日を決めてやって来るので、近所のおばちゃん(おばぁちゃん)たちにとっては大助かりなのである。だが。

移動販売である以上、「来ましたぜ!」という何らかのアピールが不可欠である。竿竹屋や焼き芋屋のように“ふし”を付けて歌ったり、或いはちり紙交換のように「○○で御座います。」と、自分が何者かを名乗ったりするのが普通である。しかしウチの周りに来る“お店”はそんな方法は採らない。ではどうするのか?答は簡単である。一発でその店だと解るように決まった音楽を流すのである。ではその音楽はというと、基本的に店主の好きな音楽と言うことになるので・・・・・

肉屋   → 石原裕次郎
魚屋   → 都はるみ
豆腐屋 → 五木ひろし
八百屋 → ジプシー・キングス

とまぁ、こんな感じになる。毎週月曜には豆腐屋が五木ひろしの囁くような声とともにやって来て、肉屋は裕ちゃんと誰だかのデュエットで「銀座の恋の物語」なんかをこの山奥で展開するわけである。
今日は土曜日。と言うわけで本日は魚屋さんが、都はるみの「好きになった人」を

「さっよぉーーなーらー、さよなーーらーー」

と大音量で流しながらやって来た。○| ̄|_
ほかの土地でもこうやって音楽掛けてやって来るのかな?

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2006/07/29

2尺の表書き

 今日は家にいたので、ずーっと表書きをやっていた。そう、裏書きではなく表書きである。というのも、ウチのは表側に幡をしばりつけてしまうので表の文字は余り見えない。だから練習(と言ってはなんだが)を兼ねて、今年はワタシが表書きを全部やることにしたのである。まあ、2尺なのでそれほどたいへんではないが、まだ幡をしばりつける作業が残ってるのでなかなか面倒なのである。とりあえず今日は75本だけ書いて終了。明日も続きを遣るつもりである。
 ふふふ、今回ばかりはほとんどの人に理解不能だろう。水陸勝会、水陸勝会。

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2006/07/24

こいけ

Koike 今日はチト用事があって秩父まで行ったので、ついでに前から気になっていた蕎麦屋に行ってみた。通るタイミングが悪いのだろう、いつ通っても暖簾が出ておらず、前を通る度に興味を募らせるばかりだったが、今日通ってみると暖簾が出ているではないか!迷わず車を停め、立ち寄る。
時間は2時前、休日明けでしかも雨模様だから客は少なそうだ。パッと見た感じ、鄙びた感じが好印象。こざっぱりした暖簾も清々しい。入ってみると懐かしいセメント塗りの土間にテーブル席が4つほど在ったか。左奥は小上がりで、低ーい座卓(というか飯台みたいだ)が並べてある。そこには別の客が居たので空いているテーブルに就く。メニューらしきものはなく、壁に貼られた品書きを見ていると、おかみさんらしき人が日本茶を出してくれた。せいろを頼んで、しばらく店内をきょろきょろと。見れば見るほど、改装する前のウチの実家みたいな雰囲気ではないか。道理で居心地が良いわけである。
品書きをもう一度見る。お酒も(もちろん)ある。ただ其処にはひらがなで“おさけ”としか書いてない。これはいい。おさけと云えば無論日本酒のことで、それ以上云う必要はない。余計なことは書かない処にたいへん趣があってよろしい。普段日本酒は飲まないが、こんな風に書かれた品書きを見てしまうと、焼味噌か何かで一盃呑みたくなってしまう。だがまたしてもクルマなのでお酒を呑めず涙を飲むのであった。でもここは駅からも近いから今度はぜひ電車で来てみよう。

そうこうするうちに、せいろが出てきた。直径20センチくらいの笊に盛られた蕎麦は少し太めでほんのりと緑がかっている。旨そうだ。蕎麦猪口に入っているつけ汁は、濃いめでこれまたワタシ好みである。味は・・・・・
今まで食べた秩父の蕎麦の中では一番である。たいへん気に入ったので、これからもちょくちょく通うとしよう。もちろん、電車で。でも営業終了が早い(15時まで)んだよなぁ・・・

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